COLUMN

第5回 アニマの宿り、細部の幻惑

小沼純一

 これまで見てきたものと違う、随分と違う。これは大人が見るもんだろう。子どもじゃ充分にわかるわけがない。
 子ども自身の感性や理解を見下してと言われるかもしれないが、そんな勝手なおもいを抱きながら、ひとつひとつのシーンに、いやひとつのシーンにあらわれる細部に幻惑されるように見入っていたことを、想いだしていた。

ファンタスティック・プラネット
(c)1973 ARGOS FILM

 「アニメーション」という言葉はもちろん知っていたし、一応はテレビで各種のアニメーションを見て育っているわけだが、語源などとは無関係に、まさに絵が生命を与えられて動く、アニマ=魂が宿って生きものになる、と震撼したのは『ファンタスティック・プラネット』に出会ってだ。「dessin animé」はフランス語でアニメーションの意だが、文字どおり、である。
 さして期待して出向いたわけではない。テレビで『機動戦士ガンダム』さえ追っていなかったし、日本のでも海外のでもアニメーションになど興味はなかった。この作品をユーロスペースに観に行ったのは、ひとえにロラン・トポールの名があったからだ。フランスにおいては、中心たる文壇や画壇にいるわけではなく、マージナルな位置にいた人物、とでも言ったらいいか。ユーモラスで不条理な短篇があったり、絵を描いたり、映画をつくったりと多芸で、かの国ではときどき現れるタイプ。今年はちょうど没後10年になる(生まれは1938年、没年は1997年)。そのトポールが描いたSFというのだから、はずせない。そして予想をいい意味で裏切ってくれたのである。
 ストーリーは、たどりきってしまえば、まあ、そんなものかと思う。謎が氷解するシーンでは、むしろ、そのキッチュさに唖然としさえしたようにも記憶する。でも、でも、である。或る惑星に住む人たちの生活ぶりや生えている植物、地形、奇妙な鳥といったものが、ただかたちが奇妙なだけではなく、動き方や習性が目を釘づけにせずにはいない。アニメーション的退屈さというのがあって、おなじような行為を繰りかえしたりすると、ついわかった気になり目を画面からそれてしまったりするのだけれど、かなりスタティックなシーンも多いのに、まるで飽きることがない。シュールレアリスムという語がふと想い浮かんだりもしつつ、シュールレアリスムにある組み合わせの妙というよりはもっと奇天烈、もっとユーモラスであり、しかもこの作品世界にあっては整合性がとれていたりもするのである。こうした細部は、日本でも多くのSFアニメーションなどあるのに、あまり見掛けないように思う。

ガンダーラ
(c)COL-IMA-SON/Films A2 in Association with Revcom Television All reserved rights.

 発想されたイメージということでは、やはりルネ・ラルーの『ガンダーラ』も同様である。いや、『ファンタスティック・プラネット』以上かもしれない(『ラマン/愛人』や『リプリー』、ごく最近では『善き人のためのソナタ』の音楽を手掛けているガブリエル・ヤレドが担当しているのも特筆すべきか)。ミュータントや「メタルマン」と呼ばれる兵士、動植物、森のような地形、等々、登場する「イメージ」のみならず、遺伝子組み換え、ミュータントの排除といった今日的将来的問題も描き込まれてさえいる。ミュータントの造形なんて、プリニウスの『博物誌』や諸々の怪奇譚に描かれているような、へたすると発禁になりそうな類いでもある。また、『ファンタスティック・プラネット』でも『ガンダーラ』でも、SFでありつつ一見人びとは原始生活にあり、高度なテクノロジーは呪術のように見えにくいという点で共通している。だから、これらラルーの作品は、ただハイテクな都市ばかりが登場する実写のSFとは異なった、どんなイメージが次にでてくるのか予想がつかない、ちょっと褒め過ぎではあるが、「驚異」で引っ張ってゆくところがあるのだ。

 久々に見直して、『ファンタスティック・プラネット』がフランスとチェコの共同制作であることに気づき、現在のアニメーション大国たるチェコの底力がこんなところにもあったかと驚きもした。この作品が日本にはいってきたのは'80年代もたしか半ば。実際の制作は'73年。もうひとつの『ガンダーラ』は'87年である。そういえば、ポール・グリモーがプレヴェール原案で撮った『やぶにらみの暴君』――後に『鳥と王』(80)として再制作――は'50年代で、ここでも王制で全体主義的な社会が描かれていて、ヘンにハイテクでもあった。フランスにおけるマンガやアニメーションのSF的奇妙さは、一種の伝統なのかもしれない、などと考えるのは見当はずれだろうか。

【プロフィール】

小沼純一(こぬまじゅんいち)
音楽文化論。早稲田大学教授。近著に『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)、『あたらしい教科書 音楽』(監修:プチグラ・パブリッシング)、『サイゴンのシド・チャリシー』(詩集:書肆山田)。