小沼純一
ノートルダム寺院を背景にしながら、おとこが、おんなが、手をのばし、互いを引き寄せあい、からみつく。
冬のパリ。ひびいているのは、タンゴ。アストル・ピアソラのタンゴ。
鼻にかかったような、震えるようなバンドネオンがのび、ちょっと吃りかげんなヴァイオリンがため息をつく。木槌のようなピアノが一打ち、ただ残響だけが残ってゆく。
『タンゴ ガルデルの亡命』は、カルティエ・ラタンの映画館で、公開されてから4年経っていたのに、細々とながら、ずっと、かかっていた。大きなポスターではなく、せいぜいA4かB4といった大きさの写真が数枚、館の前にあるだけ。内容も特に説明していなかった。
DVDを見て、ときどき不思議になることがある。はじめて或る作品を外国の映画館で観たとき、ほとんど理解できない外国語で会話がなされ、それをまたやはり別の外国語の字幕で読んでいるのに、なぜかそれなりに「わかって」いたりする、ということだ。この映画もそうである。パリを舞台に、多くの言葉はスペイン語で、フランス語はあまりでてこない。ときにはフランス語でも知らない単語もあるわけだし、切り替わるテンポについていけないことがある。にもかかわらず、日本語字幕を見ながら、ほとんどはそのまま「わかって」いたことが確認できたりする。
フェルナンド・E・ソラナスの三部作は、パリに亡命したアルゼンチン人たちを主人公とする『タンゴ ガルデルの亡命』、政治犯として投獄されていた人物が出所したアルゼンチンを描く『スール その先は……愛』、青年が故郷をはなれ、パタゴニア、ブエノスアイレス、ペルー、ブラジルを移動しつづける一種のロードムーヴィ『ラテンアメリカ 光と影の詩』と、「場所」が変わってゆく。主人公(たち)の境遇も違うし、語り口も違うこれらの作品は、どれもちょっとばかり冗長だし、アルゼンチンやラテンアメリカ諸国の政治・社会的状況が少しでもわからないととっつきにくいのも事実だ。それでいながら、ブルーを基調にし、ほとんど「うた」というより「語り」や「嘆き」になっているかのようなロベルト・ゴジェネチェが登場する『スール』も、珍しいラテンアメリカの景色とちょっとばかり鼻白まないでもないわざとらしいSF的というかシュルレアリスム風というかのストーリー展開がある『ラテンアメリカ』(ああ、おなじように水没した村の、アンゲロプロスの『エレニの旅』とのちがい!)ももちろん捨てがたく感じながら、しかし個人的には『タンゴ〜ガルデルの亡命』に執着せずにはいられないのは、何あろう、けっして亡命者の何かがわかるというようなことではなく、パリが、あくまで「よそもの」としてのパリが映しだされているからなのだ。
若い男女が「タンゴもどき」をパリのあちこちで歌って踊る。イヌの大きな着ぐるみを大人二人がつけて街を歩く。古い劇場で練習をするタンゴ・バレエのダンサーや俳優たち。そのすっと伸び、くっと曲がる腕。
カルロス・ガルデルの笑顔が壁に描かれた部屋。ポンピドゥー・センターの長いエスカレータを昇っているあいだに見える遠景。美術館では「ピカビア」の絵を「ピカソ」を混同してしまう旅行客。
瞬間的に姿を現す、タンゴの大家、オスバルド・プグリエーセ。亡命者たちに共感を寄せるフランス人として登場する演出家のフィリップ・レオタールの、とてもとても下がった目尻。『太陽がいっぱい』から四半世紀過ぎて、それでいながら初老の魅力をたたえたマリー・ラフォレ。貫禄のあるマリナ・ヴラディ。
アストル・ピアソラの名が、ソラナスの三部作には、クレジットとしてははいっている。病に倒れたせいで『ラテンアメリカ』では、エグベルト・ジスモンチが自らの曲とともに、ピアソラの曲を取捨選択して使っている。そう、今年2007年はアストル・ピアソラが亡くなって15年なのである。没後5年には世界的にオマージュが捧げられ、多くのCDが登場、コンサートでもさかんにとりあげられ、新たなファンも生まれた。タンゴという音楽が、何十年ぶりかで熱いまなざしを浴びた。没後10年、何とか一過性をくぐりぬけたと思ったものだが、さて、没後15年ともなると、やはり、ピアソラもタンゴも知らない層が増えつつあるのに気づく。気づかずにはいられない。
ピアソラの音楽はソラナス映画には欠かせない。『タンゴ ガルデルの亡命』で使われた曲は、異端のプロデューサーたるキップ・ハンラハンにより傑作アルバム「タンゴ:ゼロ・アワー」のなかにとりいれられることになるだろう。
しかし、しかしである。『タンゴ ガルデルの亡命』でソラナス自身が書いている「タンゴもどき」、監督でありながらクロウトはだしに書いている曲がいいのである。「ほんとう」のタンゴ——そんなものがあるとして——とは違った、あくまでも軽く、ちょっと口ずさめるような音楽が、ピアソラのタンゴとコントラストをなして、『タンゴ ガルデルの亡命』を彩る。それはパリに育った若い世代が親しむ、多くのポピュラー音楽がながれこんでくるヨーロッパの都市での、ブエノスアイレスとは違ったタンゴの亜種、さらなる混血。
『タンゴ ガルデルの亡命』は、この雑多さ、タンゴといいながら、その亜種までも平然と提示してしまういいかげんさが魅力であり、だからこそ、あの若い女の子たちの、表情はとてもとても生き生きしているにちがいない。この表情の前に、外国語のわからなさなど、霧散してしまうのだ、きっと。
この映画を見るとパリに行きたくなる。パリがふっと自分のなかに浮かびあがると、この映画を見る。
小沼純一(こぬまじゅんいち)
音楽文化論。早稲田大学教授。近著に『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)、『あたらしい教科書 音楽』(監修:プチグラ・パブリッシング)、『サイゴンのシド・チャリシー』(詩集:書肆山田)。