小沼純一
塚本晋也の『悪夢探偵』がDVDになって、買おうかどうしようか逡巡している。昨年試写に行こうと思ったのはかなりつまらない動機だったのだが、実際見てみると、これがとてもコワいのである。ここにあるコワさは何と言ってもそのスピードと音だ。ほとんど音こそがコワさを倍増させる。その音とともに、カメラがすごい速度で、こちらを恐怖の目で凝視ている対象にがががががと寄っていく。これにはまさにカラダが反応してしまうのだ。だから、これを自宅の大きくはない画面、大した音もでないスピーカーででは、いまひとつではないか、と躊躇っている。
近年のホラーについて詳しいわけではまるでないが、いつからか、怪奇とか恐怖と日本語で呼ばれた小説や映画が、英語の、というより和製英語のホラーになる頃から、何か社会的にも、心理的にも、コワさをめぐるものが変わったのではないか。かつての恐怖、怪奇にはどこかのんびりとした、牧歌的なものがあって、日常からはなれたうえでの、またヒトの奥に潜む恐怖をこそ見据えているようだった。 1970年代の作品をみなおしてみると、このことがよくわかる。SFXがつかわれているわけではない。とてもとても素朴な特撮である。いや、特撮とさえ呼べないような、手づくり感がある。本来は動かないはずの手や身体を何とか動かす。そこにある「おそさ」こそが日常とは違う時間感覚を生みだす。スペインのアマンド・デ・オッソリオ監督『エル・ゾンビ』のシリーズは典型だ。これを「コワい」というところで見るのは筋違い。むしろ日常の生の時間と、別の時間とが交差するからこそ、おもしろい。馬に乗ったゾンビたる騎士たち(テンプル騎士団)がスローモーションで、おそらくは中世と変わらぬ風景のなかを走っていくシーンは、現代とは違った一種の歴史性を観るものに感じさせずにはおかない。それでいながら、こうしたなかで、こんなにきゃあきゃあと叫ぶ女性は、かえって興を削ぐのだが、じつは目をつぶされた騎士団のゾンビはひとの声や音でこそ、獲物の居場所を感知するのだから、むしろこの叫びは必要な設定というわけだ。ただ映画を観ている者に恐怖を与えるのみならず、その土地や歴史的な伝承の記憶を再生産するための装置でもあったのだろう。その意味では、映画というメディアもひとつのレフェランスなのだ。
修道院の廃墟、広い、何もない土地。ゆっくりと石炭で動く汽車。文字どおり牧歌的な風景。そうしたところで事件に遭遇するとても現代的な、派手な化粧で目の大きな、女性、男性。女性たち。あるいは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』の元ネタかと思わせられる古い船。
この時期より少し後、1970年代から80年代にかけてのダリオ・アルジェント作品、『サスペリア』『フェノミナ』は、かつて映画館でもテレビでも見たものだったが、そのストーリーは忘れても、その細部の色やデザインは、あ、これは知っていると気づかされるのである。それはコワさではなく、むしろ色の鮮やかさや幾何学的なデザイン、あるいは昆虫のちょっとしたクローズアップだったりする。これらを、この十年、二十年の「ホラー」とおなじような見方をしても、それは違うだろう、と思う。むしろここには、コワさや驚きはもうわかっている、そのうえで、二度三度と見直しても、おお、この色だよね、このかたちだよね、というところに魅力が生きているのだ。それに、たとえば『サスペリア』『サスペリア2』だったりすれば、プログレッシヴ・ロックの、反復的な音楽がかぶさってくる効果も見過ごすことはできない。『エクソシスト』が、細部にはペンデレツキやリゲティといったクラスター手法の「現代音楽」を使いながらも、マイク・オールドフィールドの《チューブラーベルズ》のとてもデリケートでヴァルネラブルな反復的な音楽をテーマにしていたのと対応するかのように、ゴブリンのロックは、オールドフィールドのようなともすれば脆弱さにちかづくひびきではないが、やはり反復性によって恐怖を助長させていたのは間違いない。
おなじアルジェントでも、『サスペリア2』になると人形がコワい。これは個人的なところかもしれないが、人形は苦手だ。やはり、本来生きているわけではない、それでいてヒトに似ているモノが動く、ヒトとおなじように行動するというのが、イヤなのだろう。『エル・ゾンビ』で美女に襲いかかり、歯形がつくゾンビは笑って許せても、『バーバレラ』で尖った歯で襲ってくる人形たちはおぞましいし、『チャイルド・プレイ』も想いだしたくはない部類に属する。かといって、こうしたものを避けていて、何が夏の夜長を涼しくだ、という自己批判もできるわけで。
夏の暑い夜、コワくて思わずリモコンで一時停止にするではなく、かといってコワさを笑ってしまうようなのでもなく、適度にコワさのバランスをとれる作品と出会うのは、なかなかに難しい。
小沼純一(こぬまじゅんいち)
音楽文化論。早稲田大学教授。近著に『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)、『あたらしい教科書 音楽』(監修:プチグラ・パブリッシング)、『サイゴンのシド・チャリシー』(詩集:書肆山田)。