COLUMN

第10回 すりこみと再確認と

小沼純一

 タイトルがでて、クレジットがでる。音楽がなっている。
 ぱっと本篇にはいると、屋根である。おそらくはパリなのだろう、煙突がいくつもいくつもならんでいる屋根から、だんだんカメラは下がってくる。音楽はつづいているが、どうやら家々のあいだの道で、奏でられているらしい。きっと塀を伝って、屋根までも音はあがってきていたのだろう。
 ひとびとが集まっている。脇にベレ・バスクをかぶった男がいる。盲目のアコーディオン弾きに伴奏をまかせ、楽譜を売って、うたを先導する。もう一度やってみましょう、はい!
 だめ、である。もう涙腺がゆるんでしまう。

巴里の屋根の下
(C)1930 - TF1 INTERNATIONAL

 これまで一体何度観たことだろう。映画館でも観ているが、ほとんどはテレビで、それもNHK教育で、だ。子どものときには母と一緒に、長じてからは、あんなカビのはえたようなのと言われるのでひとりで。冒頭の部分だけは、授業で学生に見せる。1930年制作、これはルネ・クレール、トーキーを撮った最初の作品です。レコードはもうあったけれど、まだまだ庶民からは遠かったのかもしれませんね。こんなふうに路上で、楽譜とこういう演歌師の声がメディアになって、うたを広めていったのです。エディット・ピアフも路上で歌いはじめたでしょう? パリ20区、ベルヴィルのあたり。ピアフは1915年生まれだからこの映画が撮られた頃15歳。まさにこんなふうだったのではないかしら。
 説明を始める前には、ほろっときたのがおさまる頃にしなければならない。見透かされないように、だ。
 似たようなタイトルだが、デュヴィヴィエの'50年代作品、『巴里の空の下セーヌは流れる』では断じてない。あくまで『巴里の屋根の下』である、『屋根の下』でなくてはならない。

巴里祭
(C)1933 - TF1 INTERNATIONAL

 セリフも多くない。ストーリーもなんてことはない。はじめもおわりもおなじようにこの景色。ちょっとした出会いと別れが、見知った界隈でひとの生がおくられる、昔日の下町。古い映画なのに、日本で公開されたのは戦後で、ほかのフランス映画と一緒に若いひとたちがこのヨーロッパの街に憧れた。とっくの昔の物語なのに、映画はそのまま夢をフィルムに残しておいてくれる。だから、まるで違う時代でも、見るひとには夢が届く。しかもこの半音ずつあがってゆく、ゆったりとした三拍子の曲! だんだんあがって、さがってきたのが、ふっとあいだをぬいて高くなる。まるで憧れのかたちを時間のながれのなか、音に移したようではないか。そんなふうに感じたのはいつだったろう。

 『巴里祭』でも『リラの門』でも音楽は欠かせない。何度もおなじメロディがひびいて、いつのまにかおぼえている。どこかで耳にすれば、否応なしにどこかの場面を想いだす。前者なら、革命記念日を祝うために吊り下げられた、くるくる回る飾りであり、安いダンスホールであり、雨宿りからキッスへと移るカップル。後者なら、機嫌が悪いわけでもないのに笑顔がうかばない、ギターをつま弾くジョルジュ・ブラッサンスであり、気の弱そうな顔で好きな女性の顔を見るピエール・ブラッスールであり、最初と最後に荷車とともに通り過ぎる老夫婦だ。

リラの門
(C)1956 - TF1 INTERNATIONAL- CINETEL - RIZZOLI FILM - SECA

 人情ものに親しんでいたから、サイレント時代の『幕間』がいつ観られるものかと心待ちにしていた。ちょうどエリック・サティが日本でも注目され始めた頃で、雑誌に載った『幕間』の写真に興味を持ったのである。サティとピカビアがはねている。デュシャンがチェスをしている。人びとが霊柩車を追いかけている。そんな断片から、一体どんなものなのかと期待しないわけにはいかない。ましてこちとら十代だ。結局、サティの「映画音楽」を生演奏でつけた『幕間』は抱腹絶倒、以後、機会があればあの可笑しさをとばかりに観てきた。数年前、パリのポンピドゥーセンターで開催されていた「ダダ」展では、会場の片隅でこの映像とともに、レジェ『バレエ・メカニック』やハンス・リヒターの作品などもずっとながれていて、飽きることがなかった。思わずDVDも、PAL方式だというのに、買ってしまったくらい。

 ダダイスム時代でも、トーキーになってからのでも、ルネ・クレールはともに「なつかしい」、最たる映画だ。ましてや、『巴里の屋根の下』は、自分が変わっていないことを、子どもの頃好きだったものがおなじであることを確認する、試金石みたいなものだ。
 リマスタリングした画面で久しぶりに見直したルネ・クレール、記憶にあったざーざー雨の降るような映像も、更新されただろうか。今晩、ベッドのなかでゆっくり想いかえしてみよう。

【プロフィール】

小沼純一(こぬまじゅんいち)
音楽文化論。早稲田大学教授。近著に『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)、『あたらしい教科書 音楽』(監修:プチグラ・パブリッシング)、『サイゴンのシド・チャリシー』(詩集:書肆山田)。