COLUMN

第19回 イームズに魅せられて

小沼純一

チャールズ&レイ・イームズ映像作品集
©Eames Office, LLC 2008 All Rights Reserved.

 映し出されているのは、芝生のうえでリラックスするカップル。
 ナレーションがはいって、カメラは上空にどんどん距離をとってゆく。2メートル、3メートル、5メートル、10メートル……みるみるうちに遠ざかり、芝生のかたちから、アメリカ合衆国、さらには地球、太陽系、銀河系との範囲を拡大してゆく。
 宇宙の涯まで行くと今度は逆行、距離を縮めていって、カップルの姿からその皮膚、細胞、分子、原子までミクロの方へとむかう。極大と極小を数分で往還するのだ。
 特におもいいれもなく、ふうん、イームズ夫妻の映像なんだと、酷暑の1日、オリンピックも見る気がしないしとDVDを見始めたら、もう、夢中である。パッケージに記された解説も読んでいなかったから、きっと自分たちのインテリア・デザインについて語っているのだろうと思っていたのだが、さにあらず。チャールズ(1907-1978)とレイ(1912-1988)は、こうした短い映像を100以上もつくっているという。それもじつにさまざまな。
 さっきの『パワーズ・オブ・テン』は、CGなんてまだ影も形もない1977年の作品だが、発想といい、映像化の仕方といい、驚く/驚かせるというより、提示の仕方が、その速度の設定が魅力となっている。いま、自分たちがいる日常がどんなふうに宇宙のなかにあり、また身体のなかではどんなふうになっているのかが、短い時間であるからこそのリアリティを持つ。
 こうしたちょっと教育的な作品はほかにもたくさん。
 IBMのCFみたいなものなのだろう、数学や物理学、コンピュータなどを視覚的に解説するものがあり、空港や水族館の企画のプレゼン資料のようなものがある。何らかの「問題」をどう説明したらいいのか、どうやってとっかかりをつけるのか、そうしたやり方、手順、語り口、表現方法といったものを、はたと見ている者が膝を叩くように、示してくれる。短時間にシンプルに、わかりやすく、もポイントのひとつ。映像のおもしろさということももちろんある。あるけれど、同時に、視覚的な資料を使っての、思考=解説のプロセスを学ぶ、教育的なツールとして捉えることもできるだろう。

チャールズ&レイ・イームズ映像作品集
©Eames Office, LLC 2008 All Rights Reserved.

 おなじ教育度の高い作品には、ドキュメンタリー・タッチのものも。
 『メキシコの祝祭〜死者の日』。ほとんどのシーンは、町の景色やひとの姿、店頭にならんでいる髑髏菓子の静止画といったものだが、おもちゃの骸骨たちが行進したり、演奏の真似をしたりして「動く」シーンが。生きた人びとの姿を写真で、死者や抜け殻である骸骨を動画で対照させるところに、ユーモアと同時に、メキシコにおける文化的背景をパフォームしているかのよう。
 (そういえば、ジョン・ヒューストン晩年の映画に、マルカム・ラウリーを原作とする『活火山の下』があって、そこにはメキシコの死者の日の光景が描かれていたのではなかったか)。
 この作品は、鎖国していた日本がペリーの艦隊と出会ったときを描いた日本の絵を中心とした『黒船』とともに、ドキュメンタリーとして、ひとつの文化のなかでのイメージ、表象として、先の数学やコンピュータについて平易に語る「理系」な作品とはまた違った教育性を持っている。

チャールズ&レイ・イームズ映像作品集
©Eames Office, LLC 2008 All Rights Reserved.

 一方で、イームズ自身が集めた大量のおもちゃを組み合わせて、ひとつの世界をつくりあげてしまうものがある。これがいい。すばらしいのだ。世界中にあるさまざまなコマがでてくる作品は、コマそのものにヒモを巻きつけるヒモそのものの、また巻き方の多彩さがあり、それがどんなところで回転するのかも違う。砂や土のうえがあるかと思えば畳がある。上から見て、ヨコから見る。手に持って静止しているところから回転して色やかたちが変わるところ。あるいは『おもちゃの汽車のトッカータ』。大きさの異なっているはずのおもちゃの汽車のはしる光景を、撮影の魔術で、おもちゃのパラダイスを幻視させてくれる。『パレード』もそうだ。スーザの如何にもアメリカ的な、誰でもが知っているマーチにのって、さまざまなおもちゃが行進してゆく。いや、行進というのとは違うかな、動いてゆくのである。ヨーロッパの人形のかたわらに日本の張り子のトラがあったり、だんじりがあったり。どんなものも区別されずにでてくるので、逆に、ふと、あれ!と見知ったものの登場に驚く。それはまた、見ている者にとってどんなものが馴染みなのか、反応ができるのか、あるいは自らの属している文化のなかでの形象をどれだけ知っているかということでもある。

チャールズ&レイ・イームズ映像作品集
©Eames Office, LLC 2008 All Rights Reserved.

 ものすごく無意味な、ただ映像としておもしろいものも忘れるわけにはいかない。ジャズをバックにした『カレイドスコープ・ジャズ・チェア』とか『ソーラー何もしないマシーン』。後者は、パリのポンピドゥー・センター前にあるジャン・ティンゲリー/ニキ・ドゥ・サンファールの動くオブジェを想起させたりも。また、ただただ延々と水と洗剤がまじった、少し泡まじりの水がながれていくのを撮っただけの、もしかするとちょっと実験的でもある『ブラックトップ』はどうか。水のながれがだんだんと広がってゆき、泡のかたちが縁をつくってゆくさまは、公害とかエコロジーとかをいまの時代なら想わないこともないながら、その無機的でありながら「動く」さまが、映像としてのおもしろさを感じさせてくれる。
 (あ、ちょっとだけこまかいことを言うと、いまでこそバッハの《ゴルトベルク変奏曲》は——グレン・グールドの伝説的な演奏/録音によって飛躍的に有名になった——映画からドキュメンタリーから、一種のBGMとしてよく利用されているけれども、ここでは何と、グールドが初録音する3年前の1952年、しかも、ランドフスカによるチェンバロ演奏がひびいているという代物で、その意味でも貴重だ。)
 音楽についても、そのセンスはなかなかのもの。多くをエルマー・バーンスタインがスコアを書いていて、『荒野の七人』や『大脱走』などでひびかせるオーケストラのひびきとは違った、室内楽的だったり、ジャジーだったりする小粋さが、イームズ作品とみごとにマッチしている。『メキシコの祝祭』にはローリンド・アルメイダのギターが美しい。そう、イームズはしっかりどういうスコアを書くべきかを指示しているようで、瞬間だが、楽しくも哀しい特典映像『901:チャールズ&レイとイームズ・オフィス45年の記憶』に、インストラクションが映しだされたりもする。
 どれも短いので、集中力が途切れることもない。気が向いたら、お気にいりをあらためて眺めて、その細部や雰囲気を楽しむ。そんなふうにして、お盆休みの数日をイームズ作品集で堪能させてもらったのだった。

【プロフィール】

小沼純一(こぬまじゅんいち)
音楽文化論。早稲田大学教授。近著に『バッハ「ゴルトベルク変奏曲」世界・音楽・メディア』(みすず書房)、『あたらしい教科書 音楽』(監修:プチグラ・パブリッシング)、『サイゴンのシド・チャリシー』(詩集:書肆山田)。